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哀帝 (唐)[あいてい]
哀帝(あいてい)は唐朝の第23代(最後)の皇帝。昭宗の九男。 == 生涯 == 初めは輝王に封じられる。昭宗が朱全忠により殺害されると、904年その朱全忠により擁立された。しかし、禅譲のためだけに即位させられたに過ぎず翌年には朱全忠により朝臣を皆殺しにされ(白馬の禍)、907年には朱全忠への禅譲を余儀なくされた。禅譲後、李祝は後梁の済陰王に封じられたが、翌908年に後難を恐れた太祖朱晃(朱全忠)によって、曹州(山東省)で毒殺された。享年17。 ちなみに、前年の春2月の戊戌の日に廃太子である李裕を初めとして、・李禊・李禋・李禕・李祕・李祺・李禛・李祥・李襜ら、哀帝の10人の兄弟らも、朱全忠に洛陽内にて偽りの宴会に招待されて、そのまま絞め殺されて、付近の九曲池に投げ込まれたという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「哀帝 (唐)」の詳細全文を読む
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